カズオ・イシグロさんのノーベル文学賞受賞が発表された翌日、ぼくは一日中、彼の小説『日の名残り』を読んでいました。
そして読み終わってすぐ、録画していたNHK『カズオ・イシグロ 文学白熱教室』を観ました。この番組で彼が話していたことに、強い感銘を受けました。
カズオ・イシグロさんが小説家になろうと思ったきっかけ。それは、「薄らいでいく日本の記憶を保存したい」と思ったからだといいます。
ご存知のように、彼は長崎で生まれ、5歳まで日本で過ごしました。そしてイギリスに渡り、その後英国国籍を取得します。
23歳のときのこと。彼は記憶の中にある日本を保存しておきたいという想いで、デビュー作『遠い山なみの光』を書き上げました。
売り上げランキング: 154
事実を書くのではなく、小説という形式を選んだのは、「自分の情緒的なもの、内側にあるものを安全に表現できるから」。たとえ事実と違っていたとしても、自分の記憶の中にある世界を誰にも邪魔されたくない。なんとなく、彼の気持ちがわかる気がしました。
この番組におけるイシグロさんのテーマは、「なぜ小説を書くのか」「小説に娯楽以上の価値があるとすれば、それはどんな点にあるのか」というものでした。以下、印象に残った言葉を書き留めました。
「小説の舞台設定が自由自在に動かせるとわかってしまい、それゆえに舞台設定を考えることに長い時間を費やすようになった。思いついたアイデアを書きとめ、3つ4つの短い文章にまとめてみて、発展性があるかどうかを確かめている。これなら小説になるかどうか、と」
「小説の価値は、表面的なものにあるのではない。もっと奥深い」
「(なぜ小説=フィクションを書くのか、という問いに対して)私たちの身の回りにあるものは、すべて想像から生まれている。まず想像があって、発明がされる」
記憶を扱う独特の手法について
「記憶を通じて語る手法を編み出した。時系列で書くのではなく、語り手の内なる記憶や関係性をもとに書き始めた。人間が何かを思い出すとき、その記憶は歪められている。不愉快な出来事は、すり替えて記憶している。フィクションだからこそ、人の記憶を扱うことで、作品がおもしろくなる」
「人はときに、他人だけではなく、自分にも嘘をつく。だから、主人公の記憶で語らせると、読者は疑いながら、注意深く読み進めていく。それはフィクションを書くうえで有効な手法だと思った」
この話は、非常に興味深いものでした。『日の名残り』を読んだときに、最も驚いたのがこの点です。物語は最初から最後まで、主人公である執事の記憶を通して展開していきます。
その記憶だけで、読者であるぼくは、第二次世界大戦前後のヨーロッパの状況も、イギリスにおける伝統的な執事についても、理解できたのです。これは驚くべき手法であり、極めて巧みでした。
なぜ、小説を書くのか
「フィクションにもかかわらず、私たちが小説に価値を感じているのは、そこに重要な真実が含まれているからだ」
「物語は真実を伝える手段。事実ではなく、真実。真実とは、人間として感じるもの。事実だけでは、感情を伝えきれない」
「人間は、社会で経済活動をするだけでは不十分なのだ。心情を誰かと分かち合いたい。私は心情を伝えるために小説を書いている。この世界を生きていく人間として、心を分かち合うこと。この点を、小説家として最も大切にしている」
この点が、一番ぐっときました。人間は、心情を分かち合いたい生き物で、小説はそれを可能にすると。
ぼくはノンフィクションやドキュメンタリーが好きな人間でした。事実こそが本質的だと思っていました。しかし、「ノンフィクション(事実)にも足りないものがある」という今回のイシグロさんの話には共感できました。
「田中さんの家が燃えた」という事実があったとします。しかし田中さんの心情を分かち合うためには、きっとその事実だけでは不十分で、どんな家だったのか、そこでどんな思い出があったのか、などの細かい情報が必要になります。
それが小説でいう「舞台設定」であり、その世界に入り込むことで、ぼくたちは自分が体験していない物事でも「真実」として受け止めることができる、ということなのでしょうか。
彼の誠実な話し方にも好感を持ちましたし、ぼくは彼の言うとおり、小説に娯楽以上の価値を見出せました。今は2冊目を読んでいます。