エッセイ

中村家の教育方針

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よく、「若い頃に一流のモノにふれろ」と言われる。親であれば、「我が子には一流のモノにふれさせなさい」ということになる。

考えてみれば、ぼくの一番上の兄は良い例かもしれない。中学生の頃から(?)クラシック音楽が大好きで、大学生の頃には部屋のCDラックは300枚近いクラシックCDで埋め尽くされていた。

また、無類の本好きで、小学生の頃から毎日欠かさず本を読んでいた。電車での移動時間は、常に本を読んでいた。きっと今の時代に生まれても、スマホをいじるより、本を読むタイプの人間だと思う。

その結果現在では、クラシック音楽雑誌の権威とも言える『音楽の友』に記事を書いたり、様々な雑誌・Webメディアで文章を書いている。本も二冊出している。

兄の文章には、長い時間をかけて築き上げられた、海のように広大な「知」が散りばめられている。

小さい頃からギドン・クレーメルのヴァイオリンを聴いていた兄(もちろんCDで)。一時代を築いた世界的ヴァイオリニストだが、今では雑誌の特集で、彼の自宅へ赴きインタビューするくらいなのだから、すごいものだ。村上春樹さんとも仕事をした。詳細は兄のブログに書いてある。

ただただ本とクラシックに夢中になっていたから、親はそこに投資をかけた。中村家の教育方針は、「好きなことをとことん伸ばす」だった。

真ん中の兄は、大学時代まで陸上一筋で生きてきた。だから、陸上用のシューズだったり、ウェアだったり、そういうものに投資がなされた。結果、箱根駅伝のメンバーに選ばれるほどの長距離選手になった。これを書いている今、その兄はベルリンマラソン出場のため会社の長期休暇で渡欧している。

小さい頃に何にお金を使ったか。それが、将来に関わってくるようだ。

ぼくは、二人の兄に比べれば、非常に飽きっぽい性格だったから、ハッキリとした投資対象はなかったが、経験に対しては、随分お金をかけてもらった。

ヨーロッパで和太鼓を演奏したときの渡航費用だったり、自転車旅だったり、あるいはコンサートにもたくさん連れて行かれた。ぼくがクラシックに興味を持つ前から、たくさんオーケストラのコンサートに行った。子どもの頃はまった好きじゃなく、ほとんどの時間客席でうとうと寝ていたけど、高校生のとき、部屋でラフマニノフのピアノ協奏曲 第三番をかけたとき、稲妻が落ちたかのような衝撃を受けて、そこから一気にクラシックが好きになった。

兄のCDラックを片っ端から漁り、手当たり次第に聴いた。ぼくは大学に入ってからオーボエを始めた。10歳までピアノを習っていたこともあり、楽譜だけは読めた。

親からすれば、「してやったり」だったのだろうか。ぼくは「自分から勝手に」好きになったと思い込んでいたが、今にしてみれば、親の狙いのひとつだったのかもしれない。

昔から物欲が薄く、モノにはほとんどお金を使わなかったし、親にもお金を使わせなかった。その代わり、「消えて無くなるモノ」「五感で味わうモノ」「一流のモノ」にたくさんふれさせてもらった。

「子供には、絶えずきれいな水を注いでやることであろう。きれいな水というのは、たとえば先人たちの残した学問、芸術、身を以て行った善行、人の世の美しい物語、こうしたいろいろの良いもののこと。教育というのは、ものの良さが本当にわかるようにするのが第一義ではなかろうか」

と話したのは、数学者の岡潔さん。この言葉が大好きで、たびたび引用している。彼に興味があればこちらの記事も読んでみてほしい。

また、「褒めて伸ばす教育」でもあった。理系育ちのぼくは、「文章を書くこと」とは無縁だったが、大学3年生のときにブログを開設して、書くことにハマった。今読み返したら、もちろんひどい文章だ。

それでも母は、「おもしろい」と褒めてくれた。褒められると自信を持つし、やる気が出る。そして何より大事なのは、好きになることだ。良い循環が続き、ブログを書き続けた。1年後には学生ブログランキングで1位になった。「文章を書く仕事がしたいです」と就職活動の面接で堂々と言った。

継続は力なり。毎日書けば、それなりにうまくなる。結果、今は文章を書く仕事をしている。

ブログを書く作業自体にお金はかからないが、ブログのネタ作りには昔からお金がかかっている。なぜなら、家に引きこもっているだけではブログが書けないからだ。インプットがあってのアウトプット。ぼくは大学時代から、様々なおもしろい人に会いに行ったり、イベントに参加したりして、聞いた話をブログのネタにしていた。あるいは、旅をして日記を書いたり。規模は異なれど、やっていることは今と変わらないかもしれない。

まとめると、

「良いモノにふれさせ、夢中なことにお金を投資し、褒めて伸ばす」ことが良かったのかな。

ところで、最近ぼくは不安がある。

お腹を抱えて笑ったり、思いっきり恋愛したり、涙を流すほど感動したり、そういうことが随分減ってしまった気がするのだ。自転車旅ですら、慣れてしまったからか、当初のような感動はもうない。

感受性って、振り幅の大きさだと思う。思いっきり笑ったり、思いっきり泣いたり。振り幅が大きい方がいいんだけど、大人になるとだんだん狭くなってくる。どうしたら維持できるか。芸術とか旅って、その答えのひとつじゃないかな。価値観を壊しながら生きていかないと、どんどん感受性は停滞していく。

最近、何に感動しただろうか。

すぐに思い出すのは、イタリアの巨匠ファビオ・ルイージの来日公演だった。やっぱり一流のモノ。こういうものにお金使わなきゃいけないなと思う。

何かに感動するということが、自分を育てる。次に向かうための、良い起爆剤になる。

変わらない毎日、刺激のない日々というのは、寂しい。ただなんとなく仕事をして、なんとなくお金を得て、なんとなく生きていくのは、寂しい。一度きりの人生。振り幅の大きな人生を歩みたい。

お芝居や舞台、コンサート。人間が本気になって挑むとき、何か神聖なものを感じる。

「9秒台」に賭けた4年間。渾身のシュート。大きな大きな空振り三振。それもまた清々しい。

惰性的なものではなく、エネルギーを感じるモノにふれたい。限界に挑む人間に会いたいし、むしろ自分自身がそういう人間を目指したいから、今のままでは全然いけないのだ。

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