ここ数日の間に起きた、新しい気持ちの変化について、整理してみる。
昨年、たくさんの人にインタビューをした。話を聞き、その人の魅力を文章で伝える、ということを繰り返し行った。
インタビューして、Facebookやブログで紹介するという一連の流れは、とても刺激的でおもしろかった。紹介した人にも感謝されたし、読んでくれた人からも「おもしろい」と言ってもらえた。
(すごい人たちに会って話を聞いているだけで、自分自身はまったく成長していないのではないか)
他人の人生に目を向けているだけで、自分の人生を生きている感じが得られなかった。
(職業的インタビュアーを目指しているのであれば、これでもいいかもしれない。でも、そういうつもりじゃない。じゃあ、自分はいったい何をしているんだ)
このまま続けていくと、自分の力で足を踏み出せなくなるのではないか、と恐ろしくなり、ぼくは再び自転車に乗る決意をした。
自転車旅をすることで、大切な何かを思い出せるのではないか、と期待した。そして1月末、自転車で九州を一周した。
うまく言葉で表せないが、達成感はあったし、まだまだ自分の体力や行動力、バイタリティーは生きていた、と実感した。
目的(地)を決めて、そこに向かって全力で走る。ただそれだけのことだが、ぼくにとって、大切なことだった。このとてもシンプルなことが、昨年はできていなかった。
自転車旅をするのと同時に、今年は人に会うのを控えて、そして四六時中スマホをいじって情報収集するのも控えて、代わりに本を読もう、と決意した。
そしてこの1ヶ月半、愚直に実行した。なるべく人と会うのを避けて、読書やサイクリング、ブログ、料理など、自分と向き合う時間を増やした。
すごく良い時間だった。自分の人生を生きている、という感覚を得られたし、自信も蘇ってきた。
だけど、またここ数日の間に、気持ちに変化が起きた。
正直、意外だった。自分は正しい方向に進んでいる、という確信めいたものがあったから、まさかまた考え方がひっくり返るとは思わなかった。
まず、朝起きられなくなったことに気付いた。昨年は、早起きして、ランニングをしていた。
さあ、なぜだと。なぜ昨年は起きられて、今は起きられないのか。
昨年、毎日のようにおもしろい人に会って、その人の話を聞いていた。そこで、刺激を受けた。今振り返ってみて、この人に会うことによる刺激が、想像以上に大きかったのだと気付いた。
早起きして、自分も頑張らねば、と自然に思うほどの刺激だった。人に会い、記事を書き、感謝され、なおかつ出会った人に刺激を受けて、また頑張る、という好循環が起きていた。これが、今はない。
「洋太のインタビューはおもしろかったし、刺激を受けた。また再開してほしい」と。
でも何よりも嬉しかったのは、こういう言葉をかけてくれたことだった。
「すごい人にあれだけ会って、対等に話しているのに、洋太自身からは全然すごさを感じないというか(笑)いや、いい意味で。
っていうのは、普通は有名になったり、すごい人になったりすると、自分からはどんどん遠い存在になっていくけど、洋太にはそれがないし、昔からずっとイジられてるし、実際に会ってもこうして身近な存在のままでいてくれる。
威張ったり、偉そうにしたりしないで、態度を変えず、昔からの繋がりを大事にしてくれる。それはすごい大切なことだと思う」
本題からは少し逸れたけど、よく見てくれているなと感動した。
その親友の言葉に確信を持って、「もう一度インタビューをしたい」という気持ちが芽生えた。
おもしろいのは、これが決して「逆戻り」ではないことだ。
インタビューを一度辞めてみることで、初めて気付けたことがあった。そしてその期間中に、自転車旅も復活させて、自分に対する自信も取り戻せた。
そのうえでの、「もう一度人に会いたい」という気持ち。これは、前向きな変化だと思った。
さて、ここでもうひとつ話しておきたいのは、インタビューを始めたきっかけである。
ぼくには、捨てきれない夢がある。それは東京オリンピックまでに『徒歩で日本一周する』という夢だ。
ただし最近では、必ずしも徒歩でなくてもいいのかもしれない、と思っている。ランニングか、あるいは自転車か。
外国人と一緒に日本全国を歩いて、各地で発見した魅力を日本語と英語で発信していきたいと思っている。しかしその際、ぼくが日本の文化や歴史についてよく知っているとそうでないのでは、文章のクオリティに決定的な差がでる。
たとえばすごく価値のある神社や建築を前に、「すごいですね」で終わるのと、「この建築にはこういう背景があって、・・・」としっかりと説明できるのとでは、文章の深みが異なる。日本の魅力をきちんと紹介するのであれば、後者でありたいと思っている。
だが、実際問題、ぼくが様々なジャンルについて短期間で詳しくなるのには無理があるし、そもそも何かの専門家になれるような性格でもない。「日本文化や歴史の専門家になりたいのか」と言われても、別にそういうわけでもない。
だから、考えた。ぼく自身が詳しくなくても、それぞれの分野の専門家や詳しい人と繋がっていて、いつでも聞ける状態にしておけば、彼ら彼女らの知識をぼくが代筆できるではないかと。
たとえば、静岡の有名な茶畑に行ったとしたら、「この茶畑がどうして有名なのか、以前インタビューしたこともある、お茶に詳しい◯◯さんに聞いてみたところ、・・・」という紹介が自分のブログでできるかもしれない。
そういうことが、建築、歴史、文化、食、祭り、風習など、様々なジャンルで実現できれば、日本のことをしっかりと紹介したい、という目的が果たせるかもしれない。
そのためにも、様々なジャンルで活躍する人に会いに行って、関係性を築いていきたい。話を聞いてアウトプットすることで、知識を深めることにもつながり、一石二鳥になる。
そして、もうひとつの夢は、「一流の人たちのハブになりたい」ということだ。日本一周にとどまらず、ぼくは生涯を通して、分野を超えて人やモノを繋げることで、世の中に新しい価値を生み出したいと思っている。
その原点にもう一度立ち返り、自分はいま何を知りたくて、そのためには誰に会えばいいのか、ということを考えながら、気持ちを新たにインタビューを再開させたいと思う。
挑戦は続く。