インタビュー ミャンマー 忘れられないエピソード

【教育に携わりたい】ぼくがミャンマーへ行く理由(後編)

投稿日:2017年3月15日 更新日:

前編のあらすじ)

近所のラーメン屋で働いていたウィンチョさん・マティダさんご夫妻は、かつてアウンサンスーチーさんとともに国の民主化に向けて闘っていたミャンマー人だった。亡命後もなお、祖国への想いは尽きず、軍事政権と闘う国民民主連盟(NLD)のメンバーに有益な情報を送るなど、日本からしかできない活動を水面下で続けていた。

2015年のミャンマー総選挙では、スーチー党首率いるNLDが圧勝。歴史的な政権交代が決定的となり、ぼくはご夫妻にインタビューを敢行。その内容をブログに書いたところ思いもよらぬ反響があり、NHKの番組制作にまで発展。彼らも25年ぶりの一時帰国を果たすなど、大きな転換期となった。

しかし2016年10月、彼らは突然お店を去ることになった。最後に「中村さんに、会ってほしい大学生がいるんだ」という言葉を残して。

託された学生たち

今年1月10日から、東京・日本橋を出発し、京都・大阪まで600kmを徒歩で旅した

その出発前日、ぼくは旅の準備よりも優先して、2人の学生と会っていた。

彼女たちこそ、ミャンマー人夫妻から「活動を応援してあげてほしい」と託された子たちだった。

ICU(国際基督教大学)3年生の山中美有さん(中央)と、ともに活動している玉川聖学院 高等部3年生の猶井咲喜さん(左)だ。

山中さんも玉川聖学院の卒業生で、同校が毎年3月に開催しているスタディーツアー「玉川聖学院 ミャンマーふれあいの旅」で2016年に初めてミャンマーを訪れたそうだ。

「ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダ(寺院)で出会った日本語を流暢に話すミャンマー人女性をはじめ、日本に関心のある多くの人々が経済的理由で一度も日本を訪れたことがないと知り、衝撃を受けました。この体験をもとに、ミャンマーから学生を招致し、ICUで『ミャンマーと日本の未来のためのユース会議』を開催するというアイデアが生まれました」

山中さんと猶井さんは「ミャンマーと日本をつなぐ旅」と題して、教育に問題意識を持つミャンマーの学生4名を日本に招待し、教育をテーマにしたスタディーツアーを開催しようとしている。

このプロジェクトは、昨年9月ICU同窓会が主催するドリーム・コンペティション(通称ドリコン)で「デーヴィッド・W・ヴィクナー社会貢献賞」を受賞し、賞金として2000ドルを獲得した。

しかし、現地学生4名を招待するにはまだまだ費用が足りないので、地道に企画書を配り協賛者を募るほか、4月からはクラウドファンディングでの資金調達にも挑戦する予定だという。

「中村さんも学生時代に、企業からスポンサーを集めてヨーロッパを自転車で旅したと伺いました。そのときのお話を聞かせていただけませんか」

ぼくはこの記事に書いたことを話した。協賛を集めることの厳しさ、大変さと、それを上回るやりがいについて彼女たちに伝えた。

玉川聖学院の「ミャンマーふれあいの旅」

そういう経緯で彼女たちに会っていたのだが、もうひとつ、切っても切れない縁があった。

それは、彼女たちの出身校である、自由が丘の玉川聖学院のことだ。

実は、ぼくが書いたミャンマー人夫妻のインタビュー記事に反応した人の中には、NHKや東京新聞の記者だけではなく、学校の先生もいた。

それが玉川聖学院 高等部の、高橋純司先生だった。この記事でも紹介されているとおり、ユニークかつ素晴らしい教育方針をお持ちの先生だ。様々な方面のゲストを学校に招き、学生たちに向けての講演会を主催したりもしている。

以前、ミャンマー人夫妻のお店で食事をしていると、突然高橋先生がぼくのもとにやってきて、名刺を渡してくださったことがある。それが最初の出会いだった。

「中村さんのブログがきっかけでウィンチョさんご夫妻と知り合えました。そのおかげで、私たちの学校で毎年3月に開催している『ミャンマーふれあいの旅』というスタディーツアーも、彼らが現地のコーディネートしてくださることになり、普通ではありえないようなプログラムをツアーに加えることができました。ご夫妻にも先日我が校で講演していただいて・・・」

「一本の電話」から始まった自分の衝動的なインタビューが、ここでも思わぬ展開を見せていた。そして、そのスタディーツアーの結果として、山中さんのような想いを持った学生が現れて、どんどん自分の知らない領域まで影響が広がっていることを、ぼくは彼女と会って話を聞いたときに、初めて知った。

山中さんは言った。

「今年の3月にも、玉川聖学院の『ミャンマーふれあいの旅』があるんですけど、私も一部同行して、そこで日本に招待する学生4名を決める面接を行う予定でいます」

「え、じゃあまたミャンマーへ行くんだ」

「はい。就活の関係もあり、短期間の滞在になってしまうのですが」

就活で忙しいなか、たった3日間の滞在(しかも遊びではない)のためにミャンマーへ行く。その決意だけでも、彼女の本気度が伝わってきた。

この話を聞いて、ぼくも感化されていた。純粋な夢や目標を持って本気で活動している人を前にすると、気持ちを動かされる。果たして自分も、彼女たちほど真剣に日々を生きているだろうかと。

そして、彼女たちを応援するのであれば、ぼくは自分の目でミャンマーを見なければいけないと思った。ミャンマーのことを知らない自分が活動について口出しできるはずがない。「百聞は一見に如かず」だ。

とはいえ、このスタディーツアーは、玉川聖学院の学生や卒業生たちのためのもの。部外者のぼくが行くのも変な話だ。

しかしそのとき、思わず「いいなあ、ミャンマー行きたくなったなあ」とつぶやくと、

「本当ですか!? 嬉しいです!」と言われたどころか、同席していた高橋先生までも、

「一緒に行きましょう!」と背中を押してくださった。なんだなんだ? ミャンマー行きが、急に現実味を帯びてきた。

東海道五十三次を歩き終えて、2月に改めて考えていたとき、突然、ミャンマー人夫妻から電話がかかってきた。

「おー!久しぶりじゃないですか!」

「中村さんがミャンマーに行けるかもしれないと、彼女たちから聞きました。私も一緒に行くから、安心してください!現地のホテルも飛行機の予約も任せてください!私が車でいろんなところ見せてあげるから。ね!何にも心配いらないです!私は中村さんのような人に、ミャンマーを知ってもらって、いろんな人に伝えてほしいんです。だから、ミャンマー行きましょう!」

と、そこで覚悟が決まった。かつては軍事政権に追われた彼女も、現在のスーチー政権のもとではVIP級のミャンマー人。そんな彼女が国会も含めてアテンドしてくれるなど、こんな貴重な機会は二度とないかもしれない。

「・・・行きます!よろしくお願いします!」

旅が教育にもたらすもの

「中村さんに会ってから、彼女たち目の色が変わりましたよ」

と教えてくれたのは、高橋先生だった。

実際、山中さんたちの猛烈な行動力には、ぼくも驚かされた。企画書の作成に取りかかり、いろいろな人に会いに行き、企画への協力を求めていた。それをFacebookページで報告している。

猶井さんも、「企画書を直してみたのでチェックしていただけますか?」「HPを作ろうと思うのですが、アドバイスいただけませんか?」と、とても高校生とは思えないスピード感で、どんどんぶつかってきてくれる。ぼくも真剣に向き合わざるを得ない。

高校時代、こんな真面目で行動力のある同級生がいただろうか。

このことに関連して、今回の旅で楽しみにしていることが、もうひとつある。それは、教育の現場を見られることだ。

下の記事を書いて以来、ぼくは教育への関心が強まった。

「お兄さん、俺プロになりたい」夢を抱いた少年に背中を見せた2年間

ミャンマー行きが決まり、ぼくは二度、玉川聖学院を訪問した。高橋先生がセッティングした、ミャンマーに関する講演会を聴くためだった。

その際も、学生たちの学ぶ意欲の高さに驚いた。ぼくが通っていた高校で、こんな光景を見たことがなかった。どのような教育をしたら、こうした生徒たちが増えるのだろうか。学校の先生になるつもりはないが、常にそういう疑問がある。

今回の旅では、現地の学校を訪問するという、通常の観光旅行にはない交流プログラムがある。ミャンマーの教育現場を見られることも楽しみだし、日本の高校生にとっては、慣れない外国。初めてのミャンマーとなる。ひとつひとつの新鮮な驚きが、多感な子どもたちの心に何をもたらすのか。旅が教育や成長にもたらす効能を、客観的に見てみたい。

ぼくは大学2年生のときに、和太鼓奏者として約3週間、ドイツ・オーストリア・フランスへ行った。

そのときの原体験が、今の今までつながっている。学生たちにとっても、そういう瞬間となるかもしれない。その現場に同行できるのはこの上ない楽しみだ。

6年弱にわたり、海外添乗員としてシニアの方々を旅行に案内していたが、本音を言えば、もっと若い世代、日本の未来を作って行く人たちに、旅の魅力を伝えたいとずっと思っていた。もちろん、今回は別に添乗員の方がいるので、お仕事の邪魔はしないけれど、学生たちと同じ目線で、旅を一緒に楽しみたいし、ぼくに何か伝えられることがあれば、伝えていきたい。

「教育に携わりたい」という自分自身の想いが、このようなカタチで実現するとは夢にも思わなかった。人生はどこで何が起こるかわからないし、何が繋がるかわからない。ひとつひとつのことにきちんと向き合っていると、良いことがあるかもしれない。

今思えば、あの「一本の電話」が、ミャンマーに行くための伏線になっていた。「お金にならないから」と言って、インタビューをしなかったら、電話をかけていなかったら、何も起きなかった。損得勘定では計れない価値もある。

行動する理由は、そのときにわからなくてもいい。なんとなくやりたいこと、興味を持ったもの、直感、衝動、そういうものを大切にしていたら、思わぬ角度から人生が開けてくる。理由は時間が経ってからわかることもある。

ずいぶん話が長くなってしまった。

遊びでも仕事でもない、不思議な立ち位置だけど、明日から約一週間、ミャンマーで見たこと、感じたことを素直に伝えていきたい。

-インタビュー, ミャンマー, 忘れられないエピソード

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