Run to Infinity

by Yota Nakamura /// 「自転車で世界を旅する元添乗員ライター」中村洋太の挑戦と情報発信のブログ

【自転車旅(環島)】「ツール・ド・台湾」(11)玉里〜花蓮

      2017/11/16

「台湾の東海岸で、訪ねてほしい人がいる」

ベルリンに住む兄(中村真人)から、連絡がありました。「昔お世話になった方が住んでいる」というのですが、それはぼくが初めて聞くエピソードでした。

sponsored link

ツール・ド・台湾 
第11ステージ
玉里→鳳林〜花蓮 35km(玉里〜鳳林間は鉄道)

今から18年前の1999年のこと。大学生だった兄は、台湾を旅しました。

この頃ぼくはまだ小学生で、兄が台湾へ行ったことも知りませんでした。サークルの後輩が台湾出身で、高雄の実家を訪ねて行くことになったそうです。

ところが、いきなりトラブルが。台北から鉄道で高雄まで行くつもりだったのに、間違えて東海岸を走る鉄道に乗ってしまったのです(高雄は西側の南にあります)。

相当焦ったそうですが、「台湾の高齢者は日本語ができる人が多い」と聞いていた兄。車内で「日本語ができる方はいませんか?」と聞いて回ったところ、デッキにいたおばあさんが「あなた日本人?」と返事をしてくれました。ちょうど中学生ぐらいの孫を連れて鳳林の家に帰るというので、一晩泊めてもらえることになりました。

鳳林に着いたのは夕方。駅から徒歩5分くらいの家に着くと、おじいさんが迎えてくれました。

「背筋のピンと張った気骨を感じさせる方で、テレビから日本の演歌が流れていた。NHKの衛星放送をよく見ているのだとか。日本には基本的に良い印象を抱いているようで、それはその後の蒋介石の時代がひどかったせいもあるかもしれない。

夜、中学生ぐらいのお孫さんと2人で夕食を食べに行った。日本に比べると街の明かりが暗かったのを覚えている。屋台でラーメンみたいのを食べてあまりおいしくなかったけど、彼と片言で話しながら、田舎の薄暗い道を歩いたのが懐かしいね。

翌朝起きたら孫はもういなかったけど、老夫婦が駅まで見送りに来てくれて、駅弁を買ってくれた。確かその1ヶ月後に台湾で大きな地震があって、森崎の家から一度電話したことがあった。おばあさんはすぐに僕のことをわかってくれて、『こちらは大丈夫だから』と話したのが最後です」

当時70歳近かったとのことなので、もしかしたらもう亡くなってしまっているかもしれないし、ご健在だったとしても、ぼくにわかっていた情報は彼の名前と、18年前の住所だけでした。引っ越しているかもしれません。

一応、名刺に書いてあった電話番号にかけてみましたが、

「この電話番号は現在使われておりません」

という反応が。やっぱり、もういないのではないか、そう思いつつも、わずかな望みにかけて、訪ねてみることにしました。

今日は天気が悪かったこともあり、玉里駅から鉄道に乗り、鳳林へ行きました。自転車をそのまま鉄道に載せられるというので、これはぜひとも体験してみたかった。

切符売り場で「自転車も」と伝え、大人1枚、自転車1枚の切符を買います。自転車料金は、大人料金の半額でした。ちなみに合計111元なので、400円ちょっとと安いです。

あとは鉄道の最後尾にそのまま載せるだけ。分解する必要もありません。鉄道を使えば、台湾の自転車旅のハードルはグッと下がり、初心者でも安心して旅を楽しめます。

各駅停車なのでのんびりです。1時間半で鳳林に着きました。

駅から自転車で3分、名刺に書いてあった住所に辿り着きました。看板も表札も何もありません。ただ、入り口のところに靴があったから、人は住んでいそうでした。

ここまで来たら、飛び込むしかない。

ぼくは引き戸を開けて、「ニーハオ!ごめんくださーい!」と言いました。

何か返事が聞こえて、おじさんがやってきました。

その男性に、兄から送ってもらった名刺の画像を見せました。

「この方を探しているのですが・・・」

「・・・はい。間違いなく、私です」と日本語で言われました。

揚さんはご健在でした。86歳。

「昔、日本人がこの家に泊まりませんでしたか?」

「はい。高雄に行こうとして、うちに来た」

「ぼくは、中村と言います」

「ああ、あの時の!?」

「いえ、ぼくはその弟です。台湾を自転車で一周していて、兄に話を聞いて、おじさんにご挨拶に来ました」

「そうですか。さ、さ、うちへ上がりなさい。お昼は食べたか?まだだろ?うちで食べて行きなさい」

揚さんはご高齢でしたが、当時のことを鮮明に覚えていて、兄から聞いた話と寸分たりとも狂っていませんでした。

ぼくは兄の現在について話をして、兄の息子の写真も見せました。

「お母さんとお父さんも元気か?」と言うので、すぐにLINEのビデオ電話で母にかけ、少し挨拶してもらいました。

「真人から聞いています。その節は大変お世話になりました」

「お母さんもぜひ台湾に遊びに来てください」

お昼ご飯を作ってくれました。

「遠慮なく食べなさい。息子が帰ってきたようだ。私はとても嬉しい」

気になっていた質問をしました。

「ところで、奥さんは?」

「3年前に亡くなりました」

「・・・そうでしたか」

「数年前に日本へも旅行したんですよ。北海道に。これはその時の写真です」(右が奥さん)

「ぜひまた日本へ来てください」

「ははは、ありがとう。私は今でも日本人の精神を持っているよ。今日は、うちへ泊まっていくか?」

「いえいえ、今日は花蓮へ行きます。もう宿を取っているので」

「そうか。少し休んだらどうだ?昼寝していかないか?」

「大丈夫ですよ(笑)ここから35kmあるので、もうそろそろ行かなきゃ」

「そうか。じゃあバナナ持っていって。また台湾に来なさい」

「はい、また必ず来ます」

「しかし、弟もすごいよ。台湾は広いのに、よくうちを見つけ出した(笑)」

まったく、Google Mapsがなければ、住所だけで辿り着くのは難しかったでしょう。

「じゃあ、お元気で!お会いできて良かったです。ありがとうございました!さようなら!」

揚さんの目には涙が浮かんでいました。200メートル離れても、ぼくが曲がり角で見えなくなるまで、手を振ってくれました。

その後、ぼくはベルリンの兄に電話をして、情報を共有しました。

「いやあ、ビックリだよ。良い仕事してくれたな」

そして、揚さんの現在の携帯番号を伝えたところ、数分後に、

「今、おじいさんと電話で少し話せたよ」と連絡がきました。アナログとデジタル、リアルとネットの世界が行き交います。

花蓮まで走る間、おじいさんの話と溢れていた涙のことが、頭の中で何度も反芻していました。

ときどき鉄道が、すぐ横を走り抜けます。あの電車の中で、兄は揚さんの奥さんと出会ったのです。それが遠いことなのか、近いことなのか、昔のことなのか、今のことなのか、よくわからなくなってきます。

レインコートをリュックごと被り、雨に降られながら走っていましたが、不思議と心は落ち着いていました。

ススキが、ずいぶん美しく見えました。


18年前,我哥哥來台灣旅行。他原本要從台北搭火車到高雄,卻弄錯搭到東部去。哥哥當下非常著急,幸好碰到會日文的老太太,接待他到鳳林的家中住了一晚。今天我去拜訪了當時的那個家。老太太已經在3年前走了,不過老先生依舊記得哥哥的事情,彷彿是兒子回來看他一般,高興得眼眶泛淚。

sponsored link

 - 2017 自転車で台湾一周の旅「ツール・ド・台湾」, 台湾